山内家系図に若宮女の記述なし
徳川幕府編纂、最古の系図「寛永諸家系図伝」(寛永20年=1644年)。将軍家光に献上。
↓見性院は元和3年(1617年)死去
 《特徴的なこと》
寛永20年は見性院(千代)死後27年目のこと。
「山内」は
「やまうち」と読む。
「一豊」は「かつとよ」と濁らずに読む。
初代「一豊」、2代「忠義」、
3代「忠豊」までの系図。  
※ 3代山内忠豊がこの系図を差し出す。

このとき、一豊夫人には、
若宮喜助友興女、あるいは左馬助などの
記述はない
 (その後に、書かれたことがわかる)
                                
郡上説の系図(1600年代のもの)へ
(山内一豊の妻)山内一豊夫人顕彰会へようこそ