郡上の祖・東胤行を始めとした
東家の人達
は天皇が命じた勅撰和歌集に綺羅(きら)星の如くその名を連ねました。
その中に紅一点・胤行の娘が入っています。
当代和歌の最高峰の藤原為家は、幼き孫娘に老眼のつたない文字で「小倉百人一首」を自ら書いて与えました。為家は父・藤原定家の撰んだこの作を老後に必死の思いで孫娘に伝えたのでした。
(題知らず) 恋しぬと いひても 経ぬる年月を
命や人に うたがはるらむ
(東胤行 女)
「新続古今和歌集・恋」
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第7話
娘も和歌の才媛
≪山内一豊の妻≫